1947年福岡県出身。1973年6月、25歳で極真会館に入門。28歳で全日本大会初出場という遅いデビューながら、第9回全日本空手道選手権大会7位、第10回同大会4位、第11回大会5位という成績を残した。その後、城南支部長となってからは、独自の理論に基づく稽古法と生徒の個性を伸ばす指導法で名選手を続々輩出。特に緑、八巻、塚本という3人の世界チャンピオン、全日本チャンピオンの数見、全日本ウエイト制チャンピオンの岩崎、高久、志田を合わせ7人もの王者を育てたことで、極真史上に残る名指導者として知られている。





昭和23年3月31日、埼玉県行田市大字谷郷に5人兄弟の長男として生まれる。
幼い頃より武道に憧れ、高校1年の秋、池袋の大山道場に入門。
大山倍達極真会館総裁を初め、多くの極真の獅子達の下で極真魂の神髄を学ぶ。
その後、各種の武術を体得する。
数々の試練を乗り越え、昭和48年極真会館主催「第5回オープントーナメント全日本空手道選手権大会」に優勝し、真の空手家、武道家としての一歩を踏み出す。昭和55年4月より埼玉県に支部道場を開設、支部長として後進の指導にあたる。
そのかたわら、常に真の強さを求めて自己の修行に励む。
平成6年4月、大山倍達総裁ご逝去後、新体制のもと、極真会館の最高顧問・首席師範に就任する。
平成15年1月、極真館を設立。
極真館、館長就任

財団法人 極真奨学会 極真空手道連盟 極真館
創始者の足跡